先日、とある方がよく聞く音楽のリストをツイートされていました。


 

そのなかで徳永英明さんの『壊れかけのRADIO』があって、「あ〜、そういえば兄がよく聞いていたな」と思い出しました。

 

徳永さんの美しい声で歌われる。またその歌詞に哀愁をひしひしと感じました。

(ちなみに私のIpodにも入ってます)

 

最初の1台の黒いラジオ。

中学生や高校、大学と青春を音楽とともに過ごしてきた。大切な思い出のラジオを歌った言葉たち。

 

私の勝手な想像ですが、

ウォークマンが登場して音楽をテープで持ち歩くようになった頃の物語だと思っています。


 

最初の1台。

 

そう呼べる物がみなさんにはありますか?

 

私にとっての最初の1台はフィルムカメラのEOS kissです。

高校生の頃にお小遣いを貯めて買った最初の1台。

 

フィルムを入れてシャッターを切り、仕上がりをドキドキしながら待っていて……。

現像された写真を見て喜んだり凹んだり。

 

あれから社会人になって給料を貯めて、ようやく5Dを購入して、中古市場をチェックしながらレンズをそろえ。

気がついたらレンズ沼に浸かっているという(笑)。

 

カメラの機材は買ったり手放したりもしましたが、最初のkissだけはいまだに保管庫の奥に大切にしまっています。

 

どうしても手放せなかったんですよね。思い出をなくしてしまいそうで。

 

物には思い出がやどる。それも最初の1品には特別な思い出が込められている。そう思います。


 

世阿弥の言葉に「初心忘れるべからず」という有名な言葉があります。

 

最初の頃の気持ちを忘れてはいけない。

 

そういう意味ですが、この言葉には続きがあって、

 

世阿弥は、

「時々の初心」

「老後の初心」

も忘れてはいけないと述べています。


 

修練を積んで、できるようになった技。

積んできた経験。

その時々の「初心」。


 

いろいろな解釈があるでしょうが、私は生き生きと学びつづけることだと思っています。

 

技でも仕事でも、慣れてくると新鮮さが失われてしまう。

洗練されるのとはちがって、自分ではそう思ってしまう。

 

そういう時はありませんか?


 

時には悩んで立ち止まる時もある。

少し道を戻って考え直す時もある。

それでも前へ前へとめざしている。

 

その姿に生きるという輝きがある。

 

そのヒントが「初心」に秘められているのではないでしょうか。

 

私の家に古い書物が少し残っています。

今日はその中から――、

 

※本文がくずし字の平仮名ばかりなので、適宜に漢字に置き換え句読点を入れています。


 

「よい人ばかりで和合せぬ話」

 

ハハ:コレ、よめヨ。せがれのところへのお茶をもっておいで。

 

ヨメ:ハイハイト。そのお茶をもち亭主の後ろへ置き「ココへおきますよ」ト言いつつ歩みゆく。

 

テイ主:いきなり後ろへ手をやれバ、茶碗ころげだし、その煮え茶にて手をやけどをいたし、アツツト言いながら、女房をよぶ。

 

ヨメ:ハイハイ。

 

テイシュ:お前が悪い。なぜ前へおかないのだ。

 

ヨメ:口の内にて「おっかさんがお茶をもっていけといわなけりゃ、こんな粗相できぬものを。おっかさんが一番悪い」と口小言くちこごとをいう。

 

ハハ:これを見て「せがれ、お前が悪い」と言う。

 

右三人とも我が悪いと思えぬ=「よい人」ばかりにて和合いたさぬわけ。

 

※亭主はヨメが悪いといい、ヨメはおっかさんが悪いといい、ハハは伜が悪いという。自分は悪くないんだから、=よい人。


 

次いで逆パターン。

 

「悪い人ばかりで和合する話」

 

ハハ:コレ、よめヨ。せがれの所へのお茶をもっておいで。

 

ヨメ:ハイハイト。そのお茶を亭主の後ろへ置き、ここへ置きますよと言いつつ歩みゆく。

 

テイシュ:いきなり後ろへ手をやれバ、茶碗ころげだし、その煮え茶にて手をやけどをいたし、アツツト言いながら、その始末をいたし、「私が悪かった、よく見てとればよかった」と言うを聞きつけ、

 

ヨメ:「わたくしがわるうございました。煮えたったものを後ろへ置くとは、まことに届かぬ事ですみません」ト、手をついてあやまる。

 

ハハ:その行為を聞きつけ、「わたしが悪かったヨ。もっていけと言わずにここへ呼べば粗相はできぬものヲ」と言う。

 

このもの三人ながら「悪い」人ばかりにて和合いたすわけ。

 

※自分が悪いという=悪い人。


 

明治時代の教訓本のようですが、前後が紛失してしまって題名とかは不明です。


 

私は悪くないという人=他の人が悪いという人。

 

私が悪かったという人=まず自省する人。


 

不必要なことまで背負い込む必要はないですけど、やっぱり自省する人の方が魅力的だなって思います。


 

しかもね。ここだけの話。これって年齢関係ないんですよ。

いい年齢をした大人でも、他の人に責任をなすりつける人も……。

 

まさに、言うはやすく行うはかたし!

 

孔子は「れ、日に我が身を三省さんせいす」と言いました。

ここから名前をとったのが「三省堂書店」さんですね。


 

私など、とても三省はできませんが、自分のしたことは素直に反省したいと思います。


 

もちろん、自分の書いた文章も。

……そしていつか。もっと面白い物語が書けるようになりたい。

 先日、とある部長さんに誘われて食事会に行ってきました(一対一じゃないよ)。

 普段なら入ることはないような料亭でしたが、知り合いの部長さんですので緊張することもなく、ざっくばらんにお話ししながら楽しい食事会になりました。


 

 よく料理の上手な人は、おいしいお店に行っているということを聞きませんか?

 

 これはちょっと語弊ごへいがありますね。

 接待やお誘いを受けて、恵比寿のシャトーレストランとかお寿司の名店などに行く。

 

「うわぁ。おいしい」と単純に喜ぶのもいいですが、さっきの言葉はじっくりと舌で味わえる人が該当すると思います。

 

 この香ばしさは、ちょっと炙っているかも。

 この甘さは、……白味噌かな? 胡麻かな?

 ああ、なるほど。あれにあれを合わせるとこういう味になるんだ。

 

(お酒が入っても)こうやって味わえる人が料理上手になると思いませんか?


 

 とまあ、偉そうなことを書いておいてなんですが私はというと……。

 

「お! お。……おおお?」

 

 感嘆。発見。……困惑の3段活用。



 

 誰のセリフかって?

 ――これは私が一番最初に作った料理を見た時の、相方のセリフです。

 

 恥ずかしながら独身時代はロクに料理をしたことがなくって、お付き合いをはじめてから手料理をつくる羽目になったわけですね。

 

 この時につくった料理は、豚と大根の千切りの炒め物(笑)。

 

 お味? それは聞かないで察して下さい。なにしろ塩こしょうすら振ってなかったのですから!

(なぜそんなものをつくった……)

 

 ついた料理名は「ぶただいこん」(命名:相方)。

 

 相方からは「煮物ならわかるけど、豚肉と炒めるならせめてジャガイモにしてくれ」と。

 

 それから料理の本を買って練習したり、お料理教室へ通ったり……。

 案外、結婚を控えた女性の多くがそうされているのかもしれないですね。

 

 それはさておき。

 この時の失敗の原因はなんだったのかなって考えると、一番は「完成後の味」を想像していないことだったと思います。

 

 とにかく適当に冷蔵庫で目についた食材を、レシピもなしに調理したわけで、それはびっくり箱みたいな料理が出来るわけですね。

 

 ……物体Xと呼ばれなくて良かった。いや、本当に。


 

 食材、レシピ、完成形のイメージ。

 

 これって大切な要素だと思うんです。

 

 いいかえると、

  食材=今ある自分の資源、強み。

  レシピ=方法。

  完成形=目標とする結果。

 となります。


 

 これを執筆に当てはめれば、

  食材=ネタ、世界設定、キャラ。

  レシピ=ジャンル、プロット。

  完成形=エピローグ、テーマ。

 となりましょうか。

 

 コトコトと煮込んでフォンやソースを作ったり、味をなじませるために寝かせるならまだしも、調理を途中でやめちゃうようなことは勿体ない。

 

 ぜひ、皆さんの料理(小説)を完成させて、多くの方に召し上がっていただいてはいかがでしょうか。


 

【補足】

 えっと、上で偉そうなことを書いちゃったので……。

 私の舌では恵比寿のシャトーレストランの料理が、どういう食材がどういう調理をされて、こういう複雑で深みのある味になっているのかはわかりませんでした。

 きっと本当に美味しい料理ってそういうものなのかもしれないですね。

 伝統的な調理法をベースに、独自の料理にといえるのかもしれません。


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